コラム

公共政策&行政改革コラム⑩ 行政運営における政治家の役割と行政職員の役割、そして責任のあり方

2018.04.13

ジャパンシステム株式会社
公共政策・行政改革ディレクター 山中 光茂

財務省や防衛省の「隠蔽問題」に対するメディアの報道をみていて、政治家と行政職員の「責任と役割」という視点から大きな違和感を感じざるを得ません。私自身が行政の長を経験した立場として違和感を感じたのは、担当大臣を始めとした「行政職」でありながら、「政治家」とも呼ばれる方々の「他人事」といった姿勢を当たり前のようにメディアや評論家の方々も受け止めて評価をしているところです。

大臣は「政治家」であるから、行政事務職員から報告を受けていなかったら責任がないのか、形式的な謝罪をすればそれで済むのか。「行政の長」が政治家であることは、「聞いていなかった」「報告しなかった」ならば、結果責任はすべて行政職員が負うことになるのか。それならば、責任者としての行政職員以上に高い報酬と役割を与えられている「政治家」の存在なんて必要なくなってしまいます。これは、地方自治体の「首長」においても同じ議論が必要となるのです。

まず、国政レベルの話でいえば、これは現政権だけの問題では全くなく、政権交代が起こった時代でも同じ課題がありました。ある大臣が「私は本当はこのような政策を進めたいんだけど、官僚が動いてくれないからしょうがないのよね」という話を大臣室で聞かされたことがありました。よく政治家をいさめることができる「優秀な官僚」などという美談めいた話がでますが、既得権益がらみの話以外で「優秀な政治家」が官僚をいさめて方向転換させたという話はあまり聞きません。官僚にとって、微々たる方針転換をすることで政治家に花を持たせることは多々あっても、本質的な財政論や国家システムの構造改革にメスが入れることができないのは、本来「行政の長」であるはずの大臣や政務官が「単なる一人の政治家」でしかなく、具体的な「実務」をみていないことが大きな原因だといえます。

どの政権においても、大臣や政務官が女性問題や失言、政治的配慮によってころころ変わっても大きな問題が生じないのは、所詮「行政の長」が「単なる政治家」としてしか行政職員から見られておらず、役割も満足に果たせる状況でなければ、逆に責任も負わされることもない、負うこともできない状態なのが、今の国の政治家と官僚の関係であるといえるでしょう。真に「行政の長」でもあり、「政治家」でもある人材であるならば、隠蔽するシステムを変えることが出来なかった責任も、報告があがらない組織の責任も、財政再建を進められない責任も、現場とともに動いてきたという自負があれば、自分自身が責任をとるという気持ちが当然のようにわき上がることでしょう。

地方自治体では、「県」というレベルにおける知事職はほぼパフォーマンス職となっており、実務よりは既得権益との調整や新規事業の旗ふり役に過ぎず、市民の現実に関わる行政的手腕を発揮できないのは中間自治体としての「県」という不必要ともいえる中途半端な役割上、国政の政治家以上にしかたがないともいえる部分もあります。実際に、都道府県知事できめ細かな行政マネジメントに関わる人をみたことはありません。

一方で、基礎的自治体である「市町村長」の首長と職員の関係性においては、首長の汗の流し方と職員のトップに対する信頼のあり方によるといえます。通常の自治体においては、国における大臣と官僚と同じように、重要案件だけを報告連絡をして、予算の協議においても大きな20件ぐらいの市政の課題案件だけをピックアップしてそれ以外は行政内部の権限で処理をしてしまうというシステムが多くなっています。ただ、基礎的自治体においては、すべての案件の判断が直接市民の幸せにも痛みにも、次の世代の課題にもつながることになってしまい、本来ならば市民から責任を持って選ばれた「政治家」としての判断をしっかりと行うことが求められるといえます。もちろん、「行政の長」である以上、どんな細かいことであっても責任と役割を持っていなくてはならないともいえます。当然、一人の人間ができる役割は限られています。だからこそ、組織として、トップが責任と役割を担えるシステムを創ること、そして、組織全体で現場とトップをつなぎながら、みんなで責任を共有しあえる体制を創ること、それこそが、本当の意味での政治家が行うべき役割であるといえます。

行政職員は、立場的に「匿名性」を持ち、そして「持続可能性」を重視するため、成功するためのリスクを冒すよりも失敗するリスクを過度に恐れます。だからこそ、市民の幸せを増進し、痛みを解決していくためには本来「政治家」がリスクをしっかりと負えるシステムを創らなくてはいけない、でもそのためには「政治家」が行政職員と同様の「現場」をしっかりと知るためのシステムも創っていかなくてはいけないのです。

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