コラム

公共経営の「これまで」と「これから」(5)これからの公共ガバナンスのシーン

2018.10.26

ジャパンシステム株式会社 コンサルティングアドバイザー
明治大学公共政策大学院教授 兼村高文

公共経営の‘これまで’は、経済を政府と民間に2分した関係で政府に民間の経済合理性をできるだけ持ち込んで資源の効率的利用に努めてきました。またマネジメントという語を用いて経営感覚を政府に意識させてきました。政府の政策決定には、マネジメント・サイクルを適用しそこに民間の評価制度や企業会計制度などを導入し効率・成果志向の仕組みを導入してきました。

こうしたNPMの考え方と手法は、1970年代までに大きな政府が有効性を失ってきた中で新たな政策の根拠としては至極当然に受け止められて、先進諸国に広まったことはこれまで述べてきたところです。しかしながら、何事も過ぎたるは猶及ばざるがごとしです。かつての事業仕分けは、公共に民間の経済合理性を市民を煽りながら追求しました。公共シーンでも資源の有効活用は当然に求められるので経済合理性は重要ですが、そこではときに経済合理性より公共性が優先されることもあります。二兎を追えればいいのですが、公共性は必ずしも経済合理性と一致するとは限りません。

さて、‘これから’の公共経営を公共性という視点も入れて公共ガバナンスのシーンを考えるなら、ガバナンスの用語が曖昧に用いられていますが、そこには政府と民間だけではなくいわば第3のセクターが入り、3分したないしは相互が交じり合った関係が出現しています。ここで第3のセクターには、NPOやボランティア団体に限らず広く市民や地域コミュニティなども関り、政府との協働(co-production)の取組みが進められます。英国で様々な分野で実施されているco-productionが広まると予想しています。

協働の取組みが行われる公共のシーンで政府の役割を考えると、前回にも述べましたように、NPS(新公共サービス)が論じるように政府はserver奉仕者として位置づけられます。NPMが政府を舵取り手としたのに対してNPSでは市民との利害調整役であり協働の担い手となります。これはかつて名君といわれた上杉鷹山(治憲)が藩財政の建直しをする際に、三助の一つに扶助をあげていたことを想起させます。

また公共のシーンに市民が入ることは、市民も政府と同様のアカウンタビリティが求められるはずです。アカウンタビリティすなわち説明責任はつねに政府に求められていますが、今日の協働の取組みに際しては政府のみならず参加するすべての主体に課されるべきです。なぜなら公共サービスの提供にはリスクも伴って発生し、そのシェアをどう分担するかを明確にしておくことの重要性は、これまでの官民共同やPFIの事業で発生した教訓が示しているからです。

市民参加のガバナンスを考えるとき、市民の側の討議(deliberation)の重要性が指摘されています。討議民主主義という言葉が1990年頃から広まってきました。民意がマスコミによって良くも悪くも創られている様子を見ると、参加する市民は討議・熟議を重ねてしっかりした意見をもって意思決定に関わるべきです。今日の民主的な公共ガバナンスは、かの哲学者ハーバーマスも指摘するように、議会政治と市民の政治の2回路が合わさった討議民主主義によって出現されるべきです。

こうした討議民主主義による市民参加の実践は、市民参加予算の取組みとして世界的に広まっています。現在、明確な数はわかっていませんが3千を超える地方政府で市民を予算編成に参加させています(わが国ではここでいう市民参加予算は実施されていません)。例えばパリ市では、2015年から5年間にわたって市の公共事業予算の一定割合を市民が決めています。またドイツのゾーリンゲン市やアメリカのデンバー市では州政府から補助金が減らされたため予算削減のメニューを市民に決めてもらっています。韓国は国の法律で市民参加予算を地方自治体に義務付けています。

公共ガバナンスのシーンは、もちろん効率性の追求は続けながらも市民主体の民主性を重視してきているように思われます。市民と言っても欧米では責任がわが国より明確であるので、客観的な基準により評価することで公共における役割と位置づけも所在が明らかです。公共ではとかく曖昧になりがちな市民ですが、わが国の公共の温情主義的な曖昧性は結果としてアカウンタビリティも不明なものとしがちです。NPMで公共に導入された評価制度は、カイゼンを進めつつも旧来の日本的和の部分がときに浸され結果的に調和を崩して評価がうまく反映されないケースもあったのではないでしょうか。

‘これから’の公共ガバナンスのシーンは、公共における経済合理性と市民参加の民主性をいかに調和させながら創り出すかではないでしょうか。そこでは人口構成が年々上がっていく日本でも英国のように法定定年齢を廃止するなど、フレキシブルな公共への参加機会の創出とともに個々では自己のアカウンタビリティを意識し責任ある参加が求められるべきでしょう。

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5回にわたり公共経営の‘これまで’と‘これから’と題してコラムを書いてきましたが、次回からは英国の地方公会計の実際を今年8月に英国の地方自治体を訪問して見聞きしてきた内容も含めて報告したいと思います。英国の地方財政は2010年キャメロン政権以来、緊縮政策の下で無慈悲ともいえる補助金カットとEU離脱を控えて危機的状況に直面しています。今後2,3年以内に半数の地方自治体は破産状態になると予測する研究者もいます。実際に法的に支出が差止められた自治体も現れています。そうした様子を議会の対応などとともに述べてみたいと考えています。

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