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公共経営の「これまで」と「これから」(4) 公共経営の考え方は支持しつつも・・

ジャパンシステム株式会社 コンサルティングアドバイザー
明治大学公共政策大学院教授 兼村高文

前回まで3回にわたり、NPMの考えがわが国の公共シーンに起こした‘革命’の‘これまで’を述べてきましたが、今回と次回でNPMの負の側面にも言及しながらわが国の公共経営の‘これから’について、公共ガバナンス論も交えてまとめてみたいと思います。

すっかり定着した公共部門の公共経営を志向した取組みは、結果として行政の効率化・効果化を進め、行政は改革に後ろ向きな姿勢は見せられなくなりました。行政はたえず予算を含めて業績評価をもとにマネジメント・サイクルを機能させ、その成果を公表し、もって説明責任を果たすことが求められています。このこと自体は当然なことであって、だれも否定はしないでしょうし、NPMの考えが推し進めてきた大きな成果です。

しかしです、いくら当然のことであっても、公共経営の成果を詳細に検証し続けるのは労力と費用がかかります。また公共部門を民間と同じように経営志向で変革を続けることには限界も指摘できます。と言うのは、以前にも触れましたがもともと公共部門が受け持ってきたサービスは「市場の失敗」ゆえに民間では提供できないから政府が提供してきたわけです。政府がかつて‘大きな政府’を志向した時代には、民間でも提供できるサービス(3公社5現業など)をも抱え込んでいました。それゆえ‘小さな政府’へ転換した当初は、民営化や民間委託も成果をあげてきました。ところが公共経営の勢いはさらに「市場の失敗」のコアである一般行政サービスなどにも市場化の取組みを求めてきました。

以上のように、NPMの考えが公共で受け入れられたのは肥大化した政府のスリム化でした。スリム化といっても単に削るのではなく、市場原理に基づいたスリム化です。ここで1つの重要な役割を果たしてきたのが公会計制度の市場化、すなわち企業会計化でした。PDCAサイクルの要ともいうべき業績測定に基づく事務事業評価は、公会計改革なくしては出来ませんでした。ところがここでも業績測定が「市場の失敗」のサービスに及んでくると、評価論の深化はあるものの市場性のないものの評価は限界があり、それゆえ作業コストに見合ったベネフィット(value for money)が疑問視されるようになりました。英国では2011年にキャメロン首相はこの問題から全て評価制度を廃止しました。わが国でも民主党政権下で鳴り物入りで始められた事業仕分けは、ほどなく縮小しました。

かつて、筆者が英国の財政制度の調査で2005年に英国財務省に伺ったときに、担当官から聞いた言葉に驚きました。それは「英国ではNPMはすでに2000年には死語になっていた」という言葉でした。サッチャー政権からさまざまなNPM改革を1980年代からラディカルに進めてきた英国では、わが国が1990年代後半頃から具体的な改革を始めた頃には、NPMはひと頃のテーマ性は薄らいでいたことになりましょうか。もっとも1997年にブレア政権に変わってからは、‘第3の道’とか‘中道’というような方向へ舵を切ったと言われていたので、尤もなことではあるのでしょうが。

しかしだからと言って英国がNPMを放棄したわけではなく、1つの軸足を公共サービスの質(Best Value政策)にも置いたということです。NPM一辺倒であった頃からからみると、1990年代には新公共ガバナンス(NPG)ないし新公共サービス(NPS)の用語が散見されるようになりました。米国の行政学者デンハルド等の著作「New Public Service」(2000年)の副題には、政府は‘舵をとるより奉仕せよ(Serving rather than steering)’とあり、NPMがその役割を市場での舵取り手としたのに対してNPSは市民との利害調整役として奉仕する立場に位置付けられています。

こうしたNPGやNPSといった公共ガバナンス論は、NPMを決して否定しているわけではありません。そこにはNPMの手法が経済理論や実証主義的な社会科学に基づいて精緻化されて発展し、それを予算マネジメント・サイクルで実践してきた過程で過度に科学的合理性に偏りすぎて、公共本来の民主性がしだいに欠如してきたために論じられてきた面もあります。これはまたNPMの政策が新自由主義や新保守主義を正当化し、結果としてこれが社会の不平等を拡大したと非難されてきたことも背景にありました。

公共の意思決定に関するガバナンス論は、経営志向を決して否定するものではありませんが、民主性をないがしろにするような方向は容認できません。しかしNPMで顧客となった市民の感覚は、現実にはサッチャー政権から喧伝されてきたValue for Money(支払った税金に見合う価値のサービス)こそが政府に期待することです。日本でも社会保険料を含めて国民負担率が欧州諸国に近づく中では、民主的ガバナンスの重要性を認めるにしても納税者の立場からは、政府の公共経営志向はしっかり保持してもらいたいのが本音でしょう。

ガバナンスという用語は大学でも学部等の名称で使われてきています。小職の明大大学院ガバナンス研究科は2004年度開講ですが、ガバナンスに関連する基礎的理論から政策論、応用実践、国際比較などの講座があり、そこでの議論はNPMとNPGともに関連した内容です。しかし小職の担当している講座については、ここ最近は市民参加をテーマにした内容へ若干衣替えをしてきたところです。理由は政府が第二臨調から財政再建の旗を掲げ続けてきたにも関わらず一向に再建できないのは、一方で代表制民主主義の手続きで決定した結果であるものの、その手続きが民意を正当に反映した決定かどうかという疑念から直接制の市民参加を考えるものです(「財政政策と民主性」の講座)。

NPMは言い切れば科学的に説得力を持ちえますが、NPGは公共シーンではそこに参加する人々の自由意思が制限されるという考えに立てば、より観念的で政策合意に至るのが難しい方向へのパラダイム・シフトではないかとも考えられます。しかしこれは公共の宿命ではないでしょうか。次回はこのシリーズの最終回ですので、公共ガバナンスを整理しながら、公共経営の視点も交えて‘これから’の政府の役割を探ってみたいと思います。

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