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オープンデータからの知見⑧ (関ヶ原の戦い② 3Dシュミレーション編)

データを活用するためのソフトウェアの発展と、データを処理するハードウェアの低価格化が、より大量のデータ分析やより高度な可視化を可能にしています。組織においてはデータからいかに知見を得て活用するかということが課題になっているのではないでしょうか

当社でもビジネスインテリジェンスソリューションとして、いかにしてお客様が持つデータを有用な知見に変えるかということに日々取り組んでおります。本コラムでは誰もが利用できるオープンデータの可視化から、どのような知見が得られるかを試していきたいと思います。

第8回目は前回に続き「関ヶ原の戦い」に関するデータの可視化で新たな発見や知見が得られるかにチャレンジしたいと思います。

前回は決戦前日のお昼までの軍勢の移動をGoogleの衛星写真で見てきました。今回はGoogleがAPIにて提供している標高データを利用した3Dシュミレーションで軍勢の動きを追っていきましょう。
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まずは14日午後、東軍が布陣した勝山の物見台後方からの視界をシュミレートします。(緑色が東軍、オレンジ色が西軍です)左から大垣城、南宮山沿いおよび関ヶ原奥の天満山山麓の布陣が見渡せたことでしょう。南宮山に視界を遮られて松尾山山頂の小早川の軍勢は見えませんね。勝山から大垣城までは4km、南宮山の麓までは6kmくらいの距離があります。
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さてここで東軍の調略フィルターをかけてみましょう

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東軍に内通していた毛利家の重鎮、吉川広家は南宮山麓の右端に布陣していますね。
勝敗の第2の決め手になったのは南宮山麓に布陣した西軍33000の戦線への不参加でした。決戦当日、関ヶ原西軍からの総攻撃の合図があがっても関ヶ原へのルートの先頭の毛利家重鎮が動きません。それゆえ、続く毛利秀元も動くに動けず南宮山西軍は西軍敗戦の知らせまで南宮山麓に滞陣していたのですね。

さて、大垣城に布陣する西軍は家康本隊が到着した晩に32000の軍勢を関ヶ原へ移動させます。もちろん街灯もない400年前、月のない漆黒の夜(当日の天候は雨)、行軍のたいまつが東軍の見張りにはっきり見えていたことでしょう。
以下のパラメータにて軍勢の移動をシュミレートします。
6名縦列、縦列間隔1.5メートル、移動速度時速4キロメートル。移動ルートはGoogle Directions APIで取得した現在の徒歩ルートを使用します。
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イラスト提供 ダ鳥獣戯画

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未来の私たちは西軍がどこに行くか知っているのですが、東軍の見張りはどう思ったことでしょう。本シュミレーションによると大垣城を出発した軍勢は270分後(4時間30分後)に東軍の物見台から死角となる南宮山南側にすっかり消えてしまいます。
東軍物見台の視線を西にずらして見てみましょう、西軍移動から300分後(5時間後)、南宮山の西のきわから関ヶ原付近に到達した軍勢が視界に入ってきます。
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大垣城軍勢が20:00(夜8:00)に移動を開始したと仮定すると、東軍が大垣城軍勢の移動先を関ヶ原と判断できるのが5時間後の翌深夜1:00から1:30。その後、軍議招集、追撃の決定、行軍段取り、兵装準備に1時間30分、深夜3:00に追撃開始というシナリオで可視化を行います。すでに14日午後には松尾山山頂に布陣していた小早川秀秋の上空方向から軍勢の動きを見てみましょう。
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今回は開戦前日9月14日のお昼から開戦直前までの軍勢の動きを3Dシュミレーションで可視化しました。次回は15日開戦からの軍勢の動きを追います。

本文記載の図は以下WEBサイトのデータと本文にて仮定したパラメーターにてジャパンシステム株式会社が「R」というオープンソースソフトウェアで可視化したものです。

・『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』「関ヶ原の戦い」兵士数推定データ
・Google Map (関ヶ原の戦い陣跡位置情報)
・Google Elavation API
・Google Directions API

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