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オープンデータからの知見⑦(関ヶ原の戦い① 衛星写真編)

データを活用するためのソフトウェアの発展と、データを処理するハードウェアの低価格化が、より大量のデータ分析やより高度な可視化を可能にしています。組織においてはデータからいかに知見を得て活用するかということが課題になっているのではないでしょうか

当社でもビジネスインテリジェンスソリューションとして、いかにしてお客様が持つデータを有用な知見に変えるかということに日々取り組んでおります。本コラムでは誰もが利用できるオープンデータの可視化から、どのような知見が得られるかを試していきたいと思います。

第7回目は日本人なら誰もが知っている「関ヶ原の戦い」に関するデータの可視化で新たな発見や知見が得られるかにチャレンジしたいと思います。

まずは「関ヶ原」はどこにあるか?からはじめます
冬の東海道新幹線で名古屋と京都の間のとても短い区間だけが雪景色または吹雪だったという経験ないでしょうか? 
そこが「関ヶ原」です。では、謎解きもかねてGoogleマップで地形を見てみましょう
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地図の中央、琵琶湖の東側を南北に伸びる山脈に一ヶ所、谷が空いているのがわかるのではないでしょうか? 日本海からの風が太平洋に抜けようとするときにこの谷が通り道となるそうです。
sekigaharaMap02.png冬、日本海側に大雪をもたらす湿った冷たい風がこの谷に集中するためこの付近だけが雪ということが多いのだそうです。関ヶ原はこの谷の中にある小さな盆地(下図右矢印の先の小さな白い点)です。衛星からもはっきりと見えますね
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地形も手伝ってか関ヶ原は太古の昔から中山道や伊勢街道に抜ける交通の要衝でした。
話を「関ヶ原の戦い」に戻しますと、西上する東軍を迎え撃つ西軍は、南側の東海道ルート(海沿い鈴鹿峠を抜けて京に達するルート)と中央の中山道(関ヶ原を抜けるルート)の2ヶ所に目を配る必要がありました。

東軍の徳川隊の第一陣は徳川秀忠が率いる38,000の大軍で、決戦(9月15日)の1ヶ月以上前の8月4日に中山道ルートにて江戸を出陣しています。西軍も東軍もこの軍勢は9月10日には関ヶ原の東の中山道沿いに到達すると考えていたようです。

西軍は琵琶湖南端の大津城と日本海側の田辺城で交戦中の30,000を残して8月中旬頃から9月の初旬には関ヶ原の東側(中山道ルート)に集結しています。東軍に寝返り、勝敗の鍵となった小早川秀秋は琵琶湖のほとりに滞陣して関ヶ原へは動こうとしません。東軍は8月後半に岐阜城を破った東軍諸大名から成る先鋒部隊40,000が西軍に対峙する形で布陣しています。
決戦の2日前の13日の軍勢の位置を見てみましょう

一口メモ
関ヶ原の戦いに参戦した兵士数は東軍、西軍ともに8万人前後だったようです。8万人と言っても想像つかないですよね。。。オリエンタルランド社ホームページによるとディズニーランドとディズニーシーの1日当たりの来場者の平均が8万人とのことで、その2倍の人数が関ヶ原に集結したのですね

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いつまでも姿を現さない徳川秀忠38,000の代わりに、突然、清洲城から岐阜城(写真矢印)に進軍してきたのが33,000を率いた家康でした。家康の出陣は9月1日で、江戸から東海道を西上して3万の大軍が2週間かからずにやってきました。
西軍は、1ヶ月前に出陣している秀忠の38,000の軍勢が今にも現れると考えたのではないでしょうか
未来の私たちがGoogleのテクノロジーを使って衛星から見てみると、上田城の真田に足止めされていた秀忠の軍勢(点滅)は関ヶ原に到着するのに5日はかかる場所にいました。

sekigaharaMap05_0914.png決戦の前日、14日の軍勢の位置です。岐阜城から進軍してきた家康の軍勢がお昼頃に東軍先鋒に合流します。同じタイミングで小早川秀秋が突然関ヶ原を見渡せる松尾山に軍勢を移動させてきました。

関ヶ原の戦い②に続く(次回は軍勢の動きを3Dシュミレーションで可視化します)
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兵士数データ:「関ヶ原の戦い」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 http://ja.wikipedia.org
衛星写真データ: Google Map API



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